キース・ベーヴァーストック
2014年11月20日14:00~15:00
記者会見
日本外国特派員協会
はじめに
まずこの発表を始めるにあたり、過去の原子力発電所事故、特に1986年のチェルノブイリ原発事故から学んだ教訓について少し話をしたい。私は公衆衛生専門の科学者であり、1971年以来、原子力事故に注目してきた。1992年に世界保健機関で私が指揮を取ったプログラムは、放射性ヨウ素への被ばくから引き起こされた小児甲状腺癌のアウトブレイクを発見するのに貢献した。この小児甲状腺癌という健康影響が重大ではあるにしても、チェルノブイリ原発事故で最も悪影響を及ぼした特徴と言えるものは、心理社会的影響として知られるようになる。その基となっているのは、心理社会的影響が信頼に関連しているということである。すなわち、公衆衛生を保護する役割をもつ当局に対する信頼である。チェルノブイリ原発事故当時、ソビエト連邦当局は、チェルノブイリ原発事故の規模に関するすべての事実を公表しなかった。その結果、事故の実状があらわになった時、公衆の信頼を失ったのである。
ゆえに、心理社会的影響は、予防可能である。チェルノブイリ原発事故後、国際連合の諸機関、世界保健機関、国際労働機関、国際連合食糧農業機関、国際連合児童基金、国連開発計画、および国際原子力機関は、将来の原子力事故時に、放射線の病理学的影響、例えば、がんと心理社会的影響の両方から公衆衛生を保護するために具体的にデザインされた、法的拘束力を持つフレームワークを開発した。したがって、国際機関は、加盟国の同意のもと、各国政府とともに、公衆衛生を保護する役割を請け負ったのである。この防護に関する枠組みは、科学的原理と科学的証拠に基づいていた。
原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)の役割は、上記で言及された国連の公衆衛生防護フレームワークにおいて活発ではないにしても、このフレームワークの科学的論拠を証明すると言う意味では、監視役のようなものであると言える。そしてUNSCEARは、また、すべての大事故の後の放射線のレベルと放射線被ばくのリスクの評価を提供している。心理社会的影響の重要さを考えると、UNSCEARは、この重要な仕事において、時宜にかない、透明性を持ち、包括的であり、独立性を持ち、科学的であるべきだという特別の責務を担っている。私がUNSCEARを批判するのは、UNSCEARがそのどれをも遂行せず、最も重要なことに、科学的なアプローチすら取っていないからである。
次に、UNSCEARの批判を、今言及した5項目(適時性、透明性、包括性、独立性、科学的(妥当性))のもとに展開していく。
適時性
UNSCEARは、事故後3年以上経つまで報告書を公表しなかった。そして公表されたものは、不完全であった。実際、まだ公表されていない部分があるはずである。私の見解では、UNSCEAR が報告書をなかなか出さなかったのは、当初、IAEAの指揮下にある国連の公衆衛生防護フレームワークが、機能しなかったためである。事実、この枠組みが機能し始めるのに3−4日かかっている。理由が何であれ、2014年に公表されたUNSCEARの2013年報告書は、公表が遅すぎたために、潜在するいかなる心理社会的影響の緩和に、効果的な影響を及ぼすことができなかった。
透明性
私の見解では、UNSCEAR報告書には、透明性が欠如している。本来なら事故直後の初期段階に最も重要であるはずの、IAEA指揮下の公衆衛生防護フレームワークの失敗が、報告書内で言及すらされていないからである。その緊急時防護フレームワークは、現在のUNSCEAR事務局長によって開発され、導かれた。彼は、国連機関のこの点での失敗がどれほど重篤なものであるかを私に認めた。UNSCEARは私の見解を知っており、自分たちの管轄は 放射線のレベルと放射線リスクについて報告することのみであると主張している。他の局面は政治的であり、科学的ではないとみなしている。この態度は、国連機関の利益を守っているとみなし、それを批判しなければいけないと考える意見もある。
包括性
原子力事故における放射線リスク評価で困難な部分は、大気への放射性物質の放出が起こる、事故後ごく初期の線量を決めることである。この場合の被ばく経路は、放射能雲(放射性プルーム)への浸漬による外部被ばくに加え、呼気による内部被ばく、そして幾分かの経口摂取である。これは、散在的な計測、およびソースタームのある程度の知見に基づくモデリングに依存しており、必然的に不正確なプロセスである。緊急対応準備がうまく行っておれば、事故後初期の線量測定データを集めるために国際的支援を受けられる可能性があったかもしれない。また、固定式の浮遊粒子状物質モニターのモニタリングデータが入手可能であるが、UNSCEARには活用されなかったようだ。UNSCEARはこれらの初期被ばく線量を推定したくなかったのだろう、と結論づけるしかない。そういう意味では、報告書は包括的とは言えず、読者は初期被ばくとそれに伴うリスクについて何の知識も得られない状態に置かれる。
独立性
UNSCEARによって作成されたようなリスク評価に不可欠なのは、その結果に利害関係を持つかもしれない人たちから独立しているということである。これについては、UNSCEARはいくつかの理由で責務を果たしていないと言える。まず最初に、委員のほとんどは、経済的重要性の高い原子力推進プログラムを持つ各国政府の指名制であり、これらの政府はまた、UNSCEARに資金も提供している。UNSCEARが、原子力を持たず、その多くは原子力事故発生時にフォールアウトを受ける可能性がある国々(現在、国連加盟国の内、193ヶ国)を犠牲にし、後援国(現在27ヶ国)の要求に応えているかもしれないという面では、UNSCEARに少なくとも潜在的な利益相反があるのは明らかである。UNSCEARは、委員の履歴書を公表することができるはずだ。この履歴書は、リスク評価の分野における著書リストを含み、さらに原子力産業内での雇用などの利益相反を宣言した署名付き声明文も添付されるべきである。これは、同様の状況において、米国科学アカデミーでは標準的な手順である。放射線リスク評価の分野での経験が長い自分のような人間にとって注目すべきことは、原子力産業ロビーに批判的な声をあげてきた研究者で、UNSCEAR報告書の作成に関与している人がほとんどいない、ということである。
事故初期の線量推定に極めて重要なのは、いわゆるソースタームである。炉心3つが溶融し、一週間以上もの間、放射性プルームの放出が何度か起こったため、これは重要なリスク源である。入手可能ないくつかのソースターム推定値の中からUNSCEARが選んだのは、日本原子力研究開発機構(JAEA)が公表した推定値である。ここで、JAEAという機関が東京電力や、事故の結果に利権を持つ他の機関から独立しているのだろうか、という疑問が起こる。JAEAのソースタームは、放射性物質の放出推定値の中で最も数値が低いもののひとつだった。たとえば、JAEAの放射性セシウム137の放出推定値は、とある国際グループの放出推定値の6分の1である。
これまでに、国連機関は、福島第一原発事故について3つの報告書を作成した。そのうち2つは世界保健機関(WHO)によるもので、ひとつはUNSCEARによるものである。近々、4つめの報告書が国際原子力機関 (IAEA)により公表されると聞いている。しかしながら、これら4つの報告書が、お互いから独立性を持って作成されたと仮定するのは間違っている。先日福島市で開催された国際シンポジウムでは、WHOの上級管理職員が、国連機関は、健康影響のリスク推定を行う際に、密接に協力したと述べている。
科学的(妥当性)
UNSCEARの「S」は、「scientific(科学的)」を意味している。米国科学アカデミーが作成するような真の意味で科学的な報告書は、上記で言及したことすべて、すなわち、時宜にかない、透明性があり、包括的で、すべての利権から独立しているものである。なので、私のUNSCEAR報告書に対する一番の批判は、報告書が、UNSCEARが自ら主張しているような科学的文書としての資格を持たないということである。事実、報告書には、公衆衛生の視点からすると、事故の重要性を軽視していると解釈することができる多くの特徴が見られる。私は、自分の批判点を公表する前にUNSCEARにも見せたので、委員の履歴書と著書リストを公表する機会はあったはずだ。しかし、いまだに公表されていない。
最後に、UNSCEAR自体のプレスリリースのヘッドライン、「福島での被ばくによるがんの増加は予想されない– 国連報告書」に注目願いたい。
UNSCEAR報告書の74ページ目に、事故後1年半の作業員の線量分布が示されている。被ばく線量が10 mSvを超える約10,000人の作業員の合計線量のおおよその推定では、標準的なリスク係数を用いると、約50症例のがんの過剰発生が予測される。UNSCEARは、事故後1年目の日本国内の公衆集団線量を18,000人・Svと推定しているが、これから予測されるのは、2,500から3,000症例のがんの過剰発生である。
放射線被ばくによるリスクの最良の知見に基づくと、これらは、「予想されない」がんではなく、「予期される」がんである。これらのがんは、特定の個人で同定されることはないかもしれない。しかし、確かに発生するであろう。科学的団体が自らの知見をこのような形で偽って伝えるのは、許し難い。
結論:
私は、UNSCEAR報告書が、科学的根拠にもとづいたリスク評価の基本的条件を満たしていないと結論づける。すなわち、UNSCEAR福島報告書は、時宜にかなっておらず、透明性に欠け、包括的でなく、利権から独立しておらず、したがって、「科学的」と呼ばれるに値しない。
原子力発電所有国ではないが、原子力発電所有国からのフォールアウトの影響をこうむるかもしれない国連加盟国は、福島事故の独立した科学的評価を必要としており、それは国連によって委託されるべきである。
現在のUNSCEAR委員会は、解体されるべきである。
Keith Baverstock
November 20, 2014 14:00-15:00
Press Conference
The Foreign Correspondents’ Club of Japan
Introduction
I want to start this presentation by saying a few words about lessons learned from a previous nuclear power plant accident, namely the one in Chernobyl in 1986. I am a public health scientist and I have been interested in nuclear accidents since 1971. My program at the World Health Organisation in 1992 was instrumental in uncovering the outbreak of childhood thyroid cancer caused by exposure to radioactive iodine. Notwithstanding the seriousness of this health outcome I would still say that the most damaging feature of the Chernobyl accident was what became known as the psychosocial effect. At its root the psychosocial effect is about TRUST: trust in the authorities whose job it is to protect public health. At the time of the Chernobyl accident the authorities in the Soviet Union did not disclose the full facts concerning the extent of the accident at the outset and as a consequence they lost the trust of the public when this became clear.
The psychosocial effect is therefore preventable. After the Chernobyl accident United Nations Organisations, the World Health Organisation, the International Labour Organisation, the Food and Agricultural Organisation, the United Nations Children’s Fund, the United Nations Development Programme and the International Atomic Energy Agency developed a legally binding framework specifically designed to protect public health in the event of future nuclear accidents both from the pathological effects of radioactivity, cancer for example, and the psychosocial effects. The international organizations therefore, with the consent of their Member States, undertook a role of protecting public health ALONGSIDE national governments. The protection framework was based on scientific principles and scientific evidence.
The role of the United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic Radiations (UNSCEAR), although not an active party in the public health protection framework of the United Nations I have just described, stands in a kind of supervisory role in terms of authenticating the scientific basis of the framework. It also provides an assessment of the levels of radioactivity and risks of exposure to that radioactivity following any major accident. Given the importance of the psychosocial effect UNSCEAR has a special obligation to be timely, transparent, comprehensive, independent and scientific in this important task. My criticism of UNSCEAR is that it has been none of these things and most importantly it has not been SCIENTIFIC in its approach.
I will briefly outline my criticisms of UNSCEAR under the headings I have just listed.
Timeliness:
UNSCEAR did not publish its report for more than three years after the accident and then only in a partially complete form; in fact, I believe there are still parts remaining to be published. It is my view that one of the reasons why it has taken UNSCEAR so long is that United Nations public health protection framework, under the leadership of the IAEA did not function initially, indeed it seems that there was an interval of 3 to 4 days before the framework started to function. Whatever the reason that the 2013 UNSCEAR report published in 2014 was too late to be effective in mitigating any potential psychosocial effect.
Transparency:
The UNSCEAR report fails on transparency, in my view, on the grounds that the failure of the IAEA led public health protection framework, which is at its most important in the earliest hours of the accident, is not referred to at all in the report. That emergency protection framework was developed and led by the now secretary of UNSCEAR. He has acknowledged to me how serious was the failure of the UN Organisations in this respect. UNSCEAR, who know my views, claim that their remit extends only to reporting on the levels of and risks from, the radioactivity. Other aspects they regard as political and not scientific. Others may regard that attitude as being protective of the interests of the UN organisations that they might otherwise have to criticise.
Comprehensiveness:
The difficult part of the radiation risk assessment of a nuclear accident is to determine the doses in the very early hours of the period in which releases to the atmosphere occur. The exposure route here, in addition to external irradiation from immersion in the radioactive cloud, is internal irradiation from inhalation and to some extent ingestion. It is necessarily an imprecise process relying on sporadic measurements and modelling based to some extent on knowledge of the source term. Had the emergency preparedness plan worked there would have been the possibility of international assistance to gather dosimetric data in the early days of the accident. It also appears that some monitoring data from in situ suspended particle monitors was available but not used by UNSCEAR. One has to conclude that UNSCEAR preferred not to estimate these doses and to this extent their report is not comprehensive and the reader is left in a state of ignorance about the early exposures and the risks they might entail.
Independence:
What is crucial to a risk assessment such as that prepared by UNSCEAR is that it is independent of those who might have a vested interest in the outcome. Here UNSCEAR fails on several counts. Firstly, its members are nominated overwhelmingly by national governments with nuclear power programmes that have high economic importance and those same governments also provide funds to UNSCEAR. It is clear that UNSCEAR has at least a potential conflict of interest in that it may serve the needs of its benefactors (presently 27 nations) at the expense of non-nuclear nations (there are presently a total 193 member nations of the UN) many of whom are potentially subject to fallout in the event of nuclear accidents. UNSCEAR could publish the CVs of its members, including their publication records in the field of risk assessment, along with signed statements declaring any conflicts of interest, such as employment in the nuclear industry. This is a standard procedure for the US National Academy of Sciences in similar circumstances. What is notable to me, as someone with a long term experience in the field of radiation risk assessment, is that few researchers that have been critical of the nuclear industry lobby are involved in the preparation of the UNSCEAR report.
Crucial to the estimation of doses in the early period of the accident is the so called source term. As three cores melted and produced several plumes of radioactivity over more than a week these are important sources of risk. Of several estimates of the source term available UNSCEAR chose to use that published by the Japan Atomic Energy Agency (JAEA), raising the question of whether this organisation is independent of TEPCO or any other party with a vested interest in the consequences of the accident. The JAEA source term was among lowest estimates of releases. For example, JAEA’s estimate of the radioactive 137Cs release is 6 times lower than that of an international group.
To date UN agencies have produced three reports on the Fukushima Daiich accident, two by the World Health Organisation (WHO) and one by UNSCEAR. I am told a fourth is about to be published by the International Atomic Energy Agency (IAEA). However, it would be wrong to assume that these four reports have been prepared independently of one another. At a recent international symposium in Fukushima City a senior management staff member of the WHO claimed that the UN agencies collaborated closely in making health outcome risk estimates.
Scientific (validity):
The “S” in UNSCEAR stands for “scientific”. A truly scientific report, such as might be produced by the US National Academy of Sciences, would be all the things I have listed above, timely, transparent, comprehensive and independent of all vested interests, and so my foremost criticism of the UNSCEAR report is that it does not qualify, as UNSCEAR claims, as a scientific document. In fact, the report shows many features that can be interpreted as down-playing the importance of the accident from the public health perspective. I showed UNSCEAR my criticisms before they were published and they have had the opportunity to publish the CVs and publication records of its members: it has so far failed to do that.
Finally I would like to draw your attention to the UNSCEAR’s own Press Release with the headline: “Increase in Cancer Unlikely Following Fukushima Exposure – says UN report”
In the UNSCEAR report on page 74 the distribution of worker doses is provided for the one and a half years after the accident. A rough estimate of the total dose in some 10,000 workers with doses above 10 mSv indicates, on the basis of standard risk factors, some 50 excess cancers. UNSCEAR’s estimate for the total Japanese public collective dose for the first year of the accident of 18,000 person-Sv is between 2,500 and 3,000 excess cancers.
On the basis of our best knowledge of the risks from exposure to radiation these are not “unlikely” cancers but “to be expected” cancers. They may never be identified in specific individuals but they will occur. It would be inexcusable for a scientific body to misrepresent its own finding in this way.
Conclusions:
I conclude that the UNSCEAR report has not satisfied the primary requirements of a scientifically sound risk assessment: it is not timely, not transparent, not comprehensive, not independent of vested interests and therefore not qualified to be called “scientific”.
The UN nations that do not have nuclear power generation but may suffer the effects of fallout from those that do need an independent scientific assessment of the Fukushima accident and the UN should commission one.
The present UNSCEAR committee should be dissolved.