教訓を探すまなざし 浪江町・赤宇木 データ収集続く

東京電力福島第一原発の事故の被災地の中で、特に放射線量が高く「百年は人が住めない」とも言われたのが福島県浪江町津島地区の赤宇木(あこうぎ)だ。この人影が絶えた農村地帯に通い、生物の動向や放射線量の推移などを調べ続ける人々がいる。悲劇の中に、せめて有意義な情報を探し出し、警告、教訓として後世に伝えたいという思いからだ。

 赤宇木の古い民家の納屋で、米国サウスカロライナ大学のティモシー・ムソー教授が、採集したばかりのヤママユガの標本を整理していた。浪江町に隣接する宿泊先の川俣町山木屋地区から民家に通って約二週間、調査をしている。捕獲調査の対象は、主に鳥、ガ、ネズミなど。イノシシやサルなどの大型動物の動向も約四十台の監視カメラで撮影して調べている。

 チェルノブイリでの研究経験も豊富な同教授が注目するのは、まず小動物の染色体の異常だ。赤宇木周辺の空間線量は毎時三~四マイクロシーベルトほど。似たような環境で低線量被ばくを続けたチェルノブイリのツバメやチョウは、特にメスの変化が著しく、世代交代を重ねるにつけ、卵を産まなくなった。このため個体数が減る現象が起きたという。福島で同じ現象が起きているかどうか、まだわからない。

 ただし二つの被災地の共通点はいくつかあるという。たとえばチェルノブイリでは、ツバメの体に白い斑点が生じた。同じようなツバメは福島でも確認されている。「どんな変化も見逃さないつもりで標本を集めるのが大切」と同教授。「小さな生物は世代交代が速く、放射線の影響が濃く現れる。人体への影響を予想する意味で貴重なデータになる」とも話す。

 同教授が最初に福島の被災地に調査に入ったのは事故から四カ月後の二〇一一年七月。以来来日を重ね、今回は「たぶん十五回目」と本人。「福島は世界的にも重要な研究フィールドになるはずだが、残念ながら海外からの研究者は少ない。理由は研究費を得にくいことにある。除染に使う莫大(ばくだい)な費用のせめて1%でも研究費に充ててほしい」と国や県に提言した。

同じ場所には、中部大学(愛知県)の寺井久慈(ひさよし)元教授と上野薫講師もいた。一年前に赤宇木の土壌に埋めたスギやコナラなどの植物の葉を回収し、変化のデータを調べている。「放射線の影響で虫や微生物の活動が鈍くなり、分解が遅くなるという現象が予想できる」と上野講師はみる。

 作業の拠点となる民家は、住民で、今は桑折町に避難している今野邦彦さん(56)が提供した。事故後、仲間たちと津島地区の放射線量の計測を続け、避難した近所の住民たちに情報を提供する活動を続けてきた人だ。

 今野さんは「情報は自分たちでとらなければ駄目だと思った」と活動の動機を話す。

 震災の直後、浪江町の海岸部の住民たちは、雪崩を打って山間部の津島地区に逃げ込んだ。その直後に福島第一原発は水素爆発を起こす。SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)は放射性物質が津島地区に流れていることを示していたが、国や県から警告はなかった。住民と避難民約四千人は何も知らず三、四日間も滞留し、高線量を浴びた。「政府は情報を隠す」という不信感は今もぬぐいようがない。

 今野さんは、こう話す。

 「四年半が経過して、私たちが送る線量調査の報告に一喜一憂する住民は減った。目を背けて、新しい生活を考える人が増えたのかもしれない。それでも記録は続けなければ。監視する目を失ったら国と東京電力の思うつぼにはまってしまう」 (福島特別支局長・坂本充孝)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tohokujisin/fukushima_report/list/CK2015092202000196.html