プログラム
11月22日(土) : 特別講演
受付 13:00
特別講演 13:30~15:30
講演者 | 講演タイトル | 講演概要 | スライド |
---|---|---|---|
小出裕章 原子核工学 |
東京電力福島第一原子力発電所事故の過去・現在・未来 | (3MB) |
11月23日(日) : 講演
受付 9:00
開会式 9:30
セッション 1 : 情報とメディア 9:45~12:00
モデレーター : 岩田渉 市民放射能測定所 (CRMS)
セッション 2 : 法と権利 13:45~15:35
モデレーター : 河﨑健一郎 福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク (SAFLAN)
セッション 3 : 公衆衛生とリスクコミュニケーション 16:00~18:15
モデレーター : 上田昌文 市民科学研究室 (市民研)
11月24日(月・祝) : 円卓会議
円卓会議議長名前 | 専門等 | 所属 |
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セバスチャン・ プフルークバイル | 物理学 | ドイツ放射線防護協会 |
島薗進 | 宗教学・死生学・生命倫理学 | 上智大学神学部・グリーフケア研究所 東京大学名誉教授 |
受付 9:00
円卓1 緊急時対応と放射線防護 9:30~11:30
話題提供者 (敬称略・順不同)
名前 | 資料 |
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川上直哉 (東北ヘルプ) | (397KB) |
大石光伸 (常総生活協同組合) | (2.8MB) |
円卓2 リスクコミュニケーションと心のケア 13:00~15:00
話題提供者 (敬称略・順不同)
名前 | 資料 |
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秋山剛 (NTT 東日本関東病院・精神科) | (2.8MB) |
キース・ベーヴァーストック (東フィンランド大学環境科学学科・環境科学、放射線生物学) | (212KB) |
円卓3 今後の展望と行動計画 15:30~17:30
話題提供者 (敬称略・順不同)
名前 | 資料 |
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早尾貴紀 (311受入全国協議会) | (271KB) |
種市靖行 (池田記念病院・整形外科) | (2.6MB) |
まとめと閉会式 17:30~18:30
東京電力福島第一原子力発電所事故の過去・現在・未来
小出裕章
講演概要
A.過去: 2011年3月11日に起こったこと
1.炉心を熔解させた「崩壊熱」
2011年3月11日、福島第一原子力発電所は東北地方太平洋沖地震に襲われた。その地震のマグニチュードは9.0。それが発生したエネルギーは広島原爆3万発分に達する巨大地震だった。人間の力をはるかに超えた自然の力である。福島第一原子力発電所は運転を停止、つまりウランの核分裂連鎖反応を止めた。しかし、原子炉の中で発生する熱が止まったわけではない。何故なら、原子炉の中には、それまでの運転で生じた核分裂生成物が蓄積しており、それは放射性物質であるが故に発熱を続ける。その発熱を「崩壊熱」と呼ぶが、その発熱量は、原子炉が運転中の発熱量の7%に相当する。今日標準的な電気出力100万kWの原子力発電所の原子炉の熱出力は300万kWであり、その7%は21万kWである。その熱は、350リッター(普通の家庭用風呂桶約2杯分)の水を1秒ごとに蒸発させる。その発熱を除去できなければ、原子炉が熔けてしまうことは避けられない。発熱を除去する、つまり原子炉を冷却するためには冷却材である水を送らねばならない。水を送るためにはポンプが動かなければならない。そのポンプが動くためには電気が必要である。しかし、福島第一原子力発電所自体は運転を停止し、自ら発電する能力を失っている。その場合、所外から電気の供給を受ける予定であった。しかし、所外の送電ラインもまた巨大地震による被害を受け、送電塔も軒並み倒壊し、福島第一原子力発電所は所外からの電気も受けられなくなった。そんな特殊な場合には、発電所内の非常用発電機が動いて、必要な電気を供給するはずであった。しかし、地震の1時間後に襲った巨大な津波が、1号機から4号機の非常用発電機を水没させた。こうして福島第一原子力発電所の1号機から4号機はすべての電気を奪われる、すなわちブラックアウトに陥った。かねてから原子力発電所の破局事故の最大の要因はブラックアウトであると、原子力の専門家であれば承知していた。まさにそれが起きてしまい、当日運転中だった1号炉から3号炉は為す術を奪われて原子炉が熔け落ちた。
2.定期検査中だった4号機
当日、定期検査中だった4号機は原子炉内にあった燃料のすべてが使用済燃料プールに移されていた。原子炉の炉心に装荷されていた燃料集合体は548体、その全量を含め、すでにこれ以上には燃やすことができなくなっていた783体の使用済燃料を含め、プールには1331体の核分裂を経験した燃料が沈んでいた。放射性物質は時間の経過とともに減少するため、「崩壊熱」も少なくなっていく。そのため、運転中にいきなり事故に遭遇した原子炉に比べれば、4号機の使用済燃料プール内にあった燃料の発熱量は少なく、幸いなことに熔け落ちるまでに時間の余裕があった。しかし、それが熔け落ちてしまえば、250km離れた東京も強い汚染を受けるだろうと当時の原子力委員会の近藤駿介委員長が報告し、自衛隊や東京消防庁が4号機の使用済み燃料プールに水を供給しようと苦闘した。その苦闘は効果を発揮しなかったが、最後に「キリン」と呼ぶ高所コンクリートポンプ車を連れてきて、ようやくに4号機燃料プールの底に沈んでいる燃料の熔融は防がれた。
3.環境に噴出した放射性物質と大地の汚染
しかし、熔け落ちた1号機から3号機の原子炉から放射性物質が放出されることは避けられなかった。希ガスの全量、ヨウ素、セシウムなど揮発性の高い核分裂生成物が大量に放出された。1979年の米国スリーマイル島事故の時も、1986年の旧ソ連チェルノブイリ事故の時もそうであったように、事故が起きるまで誰も、まさかこんな事故が起きるとは思っていなかった。そのため、事故への対応はことごとく失敗したし、放出された放射性物質の予測にも、実測にも失敗した。そのため、希ガスやヨウ素の被曝については、正確な評価が今でもできない。また、日本にとって幸運だったことに、日本は北半球温帯に属し、偏西風が卓越風であるため、放出された放射性物質の主要な部分は、太平洋に向かって流れた。ただ、そのことは、放出された放射性物質の量の把握に多大の困難をもたらした。日本政府が国際原子力機関に提出した報告書によれば、大気中に放出したセシウム137の量は15ペタベクレルであり、広島原爆がキノコ雲と一緒にまき散らしたセシウム137の168倍に当たる。その評価がどこまで正しいかは、セシウムを含め大部分の放射性物質が太平洋に流れ計測できないため、今でも分からない。日本政府の評価値より小さい評価値もあれば、大きい評価値もある。日本の国土の地表に降下したセシウムについては、その寿命が長いため、後日の調査によって汚染の把握が可能となった。東北地方、関東地方を中心に日本の国土に降ったセシウム137の量は2.5ペタベクレル程度である。それを重量にすれば、約750gである。たったそれだけのセシウムが地表に降り積もったために、約1000平方キロメートルの土地が、セシウム134の汚染と合わせて、60万ベクレル/m2以上の汚染を受け、10万人を超える住民が故郷を追われて流浪化した。その周辺にも4万ベクレル/m2を超え、日本の法令に従えば放射線管理区域に指定しなければならない土地が約1万4000平方キロメートルに広がった。放射線管理区域とはもともと一般人の立ち入りが禁止される場であるし、私の様な放射線業務従事者でも水を飲むことも禁じられる場、つまり生活してはならない場である。その場に、赤ん坊も含め数百万人の人々が、今は緊急時だという理由で棄てられてしまった。
B.現在: 敷地内外で続く被曝と苦難
1.事故現場に行くことができない過酷な状況
事故からすでに3年8カ月が過ぎた今、事故は一向に収束できないまま継続している。熔け落ちた1号機、2号機、3号機の炉心がどこにどのような状態で存在しているのか、いまだに分からない。なぜなら、現場に行くことができないからである。事故を起こした発電所が火力発電所であれば、現場に行き、どこがどのように壊れたか調べることができるし、修理をすることも、その後の運転再開もできる。しかし、原子力発電所の場合には事故現場に行くことができない。そこは、人が行けば即死する場だし、ロボットは放射線に弱い。いつの時点で現場の状況を確認できるか、それすらが定かでない。このような過酷な事故は原子力以外では決して起きない。
2.注水冷却によって増加し続ける放射能汚染水
ただ、これ以上炉心を熔融させることは許されないとして、すでに底が抜けてしまった圧力容器の中に、事故以降ずっと注水してきた。しかし、そうすれば、注水した水が放射能汚染水となることは避けられない。今現在毎日400トンの水を注水している。ところが、格納容器にも穴が開き、注水した水は原子炉建屋やタービン建屋の地下に溜まってくる。しかし、原子炉建屋もタービン建屋もコンクリート構造物であり、おそらくいたるところでひび割れが入っている。さらに、地下には配管や電気配線を走らせるためのトレンチやピットと呼ばれる地下トンネルが張り巡らされており、それらもまたいたるところで割れている。そのため、毎日約400トン分の地下水が建屋内に流入してくる。建屋内の放射能汚染水は地下水と一体化してしまう。東京電力はタービン建屋地下から放射能汚染水を引き出し、セシウムを捕捉する装置に送った上で、毎日400トン分は原子炉圧力容器への注水に再使用している。しかし、残り400トン分は毎日放射能汚染水として溜まってくる。これまで東京電力は、そうして増加してくる放射能汚染水を、応急タンクを増設しながら貯蔵してきた。しかし、応急タンクはあちこちで漏れを起こしてきた。そのうえ、放射能汚染水の総量はすでに40万トンを超えている。発電所の敷地には限度があり、タンクの増設もままならないので、そう遠くない将来、このやり方は破たんする。
3.水を使わない冷却法への切り替え
もともと放射性物質に水を接触させることはやってはならない。だからこそ、使用済み燃料あるいは高レベル放射性廃物の埋設処分の時には、地下水の有無を厳重に調べ、地下水の流れのない場所を選定する。事故直後は、炉心の熔融を防ぐことが最優先であった。そのため私自身も、海水でも泥水でもいいので、炉心に向けて水を入れるべきだと発言した。しかし、現在は、崩壊熱は事故直後に比べれば、数百分の1に減っており、水での冷却以外の方策、例えば、金属冷却、液体窒素冷却、空冷などの手段に移るべきである。
4.地下遮水壁と凍土壁
熔融した炉心と地下水を接触させてしまえば、汚染の拡散を防げなくなる。そのため、私は2011年5月の時点で、原子炉建屋周辺の地下に遮水壁を張り巡らせるべきだと発言した。それを複数の政治家にも伝え、実現できることを期待した。しかし、地下に遮水壁を作ろうとすると1000億円の費用が必要となり、6月に予定されていた株主総会を乗り越えられなくなるとの理由で、東京電力はそれを行わなかった。2013年になってようやく、政府と東京電力は地下の遮水壁を作る必要を認めたが、彼らが採用したのは「凍土壁」であった。トンネル工事で地下水の逸水を防ぐためにごく限られた部分の土を凍らせる技術はこれまでにも使われてきた。しかし、今回は、深さ30m、長さ1.4kmに及ぶ壁を作らなければならない。おそらくそれはできない。仮にこんな無謀な壁ができたとしても、地面を凍結させるための冷媒の循環が止まれば、壁は崩れてしまう。そのためにはいついかなる時も必要な電源が確保できなければならない。結局、コンクリートと鋼鉄を使った遮水壁を作らざるを得なくなるであろう。それにもまた被曝作業が伴ってしまう。もっとも、工事を請け負うゼネコンにすれば、無駄な作業が増えれば増えるだけ、ますます儲かる。
5.捕捉できないトリチウムと、捕捉しても消えたわけではない放射能
また、東京電力はセシウム以外の放射性物質を補足するためのALPSと呼ばれる装置を設置しようとしたが、いまだにまともに動いていない。仮にまともに動いたとしてもトリチウムは捕捉できない。さらに、捕捉したとしても放射能が消えているわけでもない。今後、それらの保管が重荷になる。
6.4号機使用済み燃料プールからの燃料の移動
使用済み燃料プール問題もまだ残っている。すでに述べたように、2011年3月11日に定期検査中だった4号炉の場合、炉心には燃料がなく、すべては使用済み燃料プールに移されていた。そのため、炉心が熔融することは避けられたが、4号機の原子炉建屋でも爆発が起き、原子炉建屋は半壊してしまった。特に4号機の場合には、原子炉建屋最上階だけでなく、使用済み燃料プールが埋め込まれていた階も爆発で壁が吹き飛んでしまった。そのプールの中には広島原爆に換算すれば、約1万4000発に相当するセシウム137が存在している。半壊している原子炉建屋が、次の余震で崩れ落ち、燃料がむき出しになるようなことになれば、再度大量の放射性物質が環境に放出されることになる。東京電力もその危機を承知しており、事故直後には、使用済み燃料プールの耐震補強工事を行ったし、2013年11月からはいよいよ、使用済み燃料プールの底の燃料をつり出し、隣にある共用燃料プールに移す作業を始めた。2014年10月の時点で、1331体あった使用済み燃料は55体を残して移し終えている。東京電力の計画では、2014年末までにはすべての燃料を移動させるとしており、何とか無事に作業を終えてほしい。しかし、仮に4号機の使用済み燃料プールからの燃料の移送が大きな事故がなく終わったとしても、使用済み燃料プールは1号機にも、2号機にも、3号機にもある。それらが存在している原子炉建屋は汚染が激しく、プールに近づくことすら許されない。これまでは3号機使用済み燃料プール周辺で、遠隔操作による重機でがれきの撤去などがなされているだけである。今後いつになったらそれらのプールから燃料を移動させることができるか、定かでない。
7.もともとできない「除染」と集めた放射性物質の管理
敷地の外の汚染ももちろん消えていない。日本政府は「除染」と称して、住民の生活の場の土を剥いだりしているが、「除染」とは汚れを除くという意味である。しかし、放射能を人間の手で消すことができない以上、言葉の本来の意味での「除染」はできない。できることは、汚染を移動させることで、私は「移染」と呼んでいる。その「移染」も、実質的にできる場所はごくごく限られた場所だけである。山も、森も林も「移染」はできない。田畑だって、できるところは限られている。「移染」ができるのは住宅やその周辺だけである。もちろん、やらないよりはやった方がよい。しかし、放射能を消したわけではなく、「移染」作業で剥ぎ取った土などは、今度は汚染物として溜まってくる。それらはフレコンバッグに詰められていたるところに山になっている。日本政府は、それらを県ごとに中間貯蔵施設なるものを作って集めようとしているが、住民がそれを受け入れてしまえば、そこが最終処分場になってしまう。また、1kg当たり8000ベクレルを超えて汚染されているものは指定廃棄物として管理することになっており、政府はそれもまた県ごと、あるいは大熊町、双葉町など高汚染区域に埋め棄てにしようとしている。そんなことはやってはいけない。汚染の正体は、もともと福島第一原子力発電所の原子炉の中にあった物質で、東京電力のれっきとした所有物である。東京電力が嘘をついてそれを住民の土地にばらまき、住民たちが被曝しながらそれを集めている。集めたそれは東京電力に返せばいいのである。ただし、福島第一原子力発電所の敷地では、今現在も多数の労働者が放射能を相手に戦っており、その場に返すことはできない。福島第一原子力発電所の南約15kmに福島第二原子力発電所の広大な敷地がある。東京電力はそれを再稼働させると言っているが、住民を苦難のどん底に落としながら自分は無傷で生き延びるということはあり得ない。福島第二原子力発電所にすべての汚染物を集め、そこを核のゴミ集積場にするのが良い。
8.人々に現れる健康障害
そうした困難な状況の中、人々は汚染地で日常生活を送っている。福島県内ではこれまでに約30万人の子どもの甲状腺調査が行われ、すでに100件を超えるがんが見つかっている。政府は、その結果は、単に調査を大々的にやったからにすぎず、福島第一原子力発電所事故による放射能汚染とは関係がないと主張している。しかし、これまでに大々的な調査など為されていない以上、そのような決めつけを行うことは科学的でない。政府にとっては、被曝と健康障害は無関係だという結論だけが先にある。住民の健康被害の実態を知るためには、今後、さらに調査を続ける必要がある。
C.未来: 収束までの果て無い道のり
1.向き合わねばならない厖大な放射性物質
福島第一原子力発電所事故は人類が初めて遭遇している厳しい事故である。旧ソ連チェルノブイリ原子力発電所事故も過酷な事故であった。しかしそこで壊れたのは原子炉1基である。一方、福島では3基の原子炉が熔け落ちた。熔け落ちた原子炉の中には約700ペタベクレルのセシウム137が存在していた。そのうち、15ペタベクレルが事故直後の約半月の間に大気中に放出され、おそらく同じ程度の量が海に流れ出た。そして、原子炉建屋・タービン建屋内に溜まった放射能汚染水から約200ペタベクレルのセシウム137を捕捉したと東京電力は言っている。しかし、今なお500ペタベクレル近いセシウムは熔け落ちた炉心近傍に存在しているか、あるいはすでに地下に漏れ出ている。広島原爆に換算すれば、6000発分にも及ぶ。おまけに、ストロンチウム90を含め他の放射性物質は捕捉すらされていない。今後、環境へのそれらの流出をどうやって防ぐことができるか、苦闘が続く。
2.1,2,3号機使用済み燃料プールからの燃料の移動
同時に1号機、2号機、3号機の使用済み燃料プールから、少しでも危険の少ない場所に燃料を移す作業をやり遂げねばならない。しかしすでに述べた様に、1号機、2号機、3号機の使用済み燃料プールは猛烈な汚染現場にあり、作業には多大な被曝が付きまとう。しかしやらざるを得ない。多大な被曝を受けながら、それができて初めて、熔け落ちた炉心をどうするか考えることができるようになる。そこまでにいったい何年かかるのか分からない。
3.困難な熔融炉心の取り出し
東京電力と日本政府は、熔け落ちた炉心は圧力容器の直下、ペデスタルと呼んでいる場所に饅頭のように積もっていると想定している。彼らは事故以降、常に希望的な甘い見通しを立て、失敗を繰り返してきた。熔け落ちた炉心がペデスタルの内部にとどまっているのであれば、まずは、格納容器の漏えいを補修し、格納容器内に水を張り、さらに圧力容器の底を切り開くことで、熔融炉心を上方向に取り出すことができるかもしれない。しかし、熔け落ちた炉心はすでにペデスタル外にも広がる、あるいはペデスタルの底を熔かして地下にめり込んでいる可能性すらある。困難な作業で労働者の被曝を積み重ねても、回収できる熔融炉心はごく一部でしかないと私は思う。
4.石棺化と果て無い戦い
そうであれば、熔融炉心の取り出しは初めから諦め、原子炉建屋全体を石棺化するしか方策はない。ただ、チェルノブイリ原子力発電所では当初作った石棺がぼろぼろになってきて、事故後28年たった今、石棺を覆うさらに巨大な第2石棺を建造中である。福島第一原子力発電所で、仮に石棺を作るにしても、いったい何年後にそれができるか分からない。おそらく、私は死んでいるだろう。それを見ることができる現在の若者も、第2石棺を作る頃には死んでいるだろう。原子力発電所事故とはまことに過酷なものだと、今更ながらに思う。
福島原発危機と不確実性の政治学
カイル・クリーヴランド
講演概要
今回の発表では、福島原発危機が最も差しせまった段階にあった時、日本政府および各国の駐日大使館の原子力の専門家および国家レベルの関係者がリスクをどのように評価したかを検討するとともに、技術的評価がどのように意志決定を促し、放射線防護対策に組みいれられたかについて分析する。国家レベルの関係者に加え、政府からの曖昧で、時に矛盾のある情報の理解を試み、結果的に、主流の機関以外で評価する手段を編み出した、事故の影響を受けた幅広い層の間で、どのように放射線が受けとめられているかについても吟味する。福島災害によって生まれた当局の危機的状況を前にして、市民グループは、公式データを精査し、主流を成している政治的言説を吟味し、そして公益のために補足情報を提供することにより、公的機関の発表に対する価値ある対抗的対策を提供し、実質的な規制的機能をもつものを提供しうる。しかしながら、捉え所がないという放射線の特徴や、評価の確立した専門機関の間でさえ評価プロトコルに大きなバラつきがあることを考えると、多種多様な集団が、政策の形に結晶できるような共通理解に到達し、福島後の原子力村ではびこり続けている政治力学を変えることは可能なのだろうか? 本発表では、突っ込んだ聞き取り調査や、これまでの政府文書の調査、今回の危機についての学術的研究の精査、およびマスコミ報道の分析に基づいて、日本で放射線の評価がどのように文化的な文脈に位置づけられ、論議されているのか、さらにこれが公共政策においてどのように理解されているかについて論じる。
原発事故3年半の現実
おしどりマコ
講演概要
2011年から東京電力の記者会見に通い続け、福島第一原発の作業員、汚染地域の住民、汚染を逃れての避難者の方々に取材し続けている。経産省、資源エネルギー庁、環境省、厚労省、原子力規制庁、福島県なども取材し続けている。原発事故の大きく複雑な問題を追いかけることは可能だろうか。そしてそれは報道として外に出てくるのだろうか。取材をし始めて気付いたのは、都市伝説ではなく、確実に圧力がかかることであった。自主規制もあるが、電事連・電力会社・広告会社からの具体的な圧力があった。大手マスコミの記者の方々でも良心的な方々はおられる、がそれ以上の圧力もある。そして東京電力の会見に配属される記者は、数か月で交代となるため、知識が浅い記者がほとんどである…そのような中、福島第一原発の情報はどんどん外に出てこなくなっている。現場の作業員とのパイプが無ければ、東京電力は平気で嘘の発表を続ける。 原発事故の状況とは、一言で言えば「アンフェア」である。何もかもが不公平だ。情報も、知識も、選択肢も与えられないままの生活を強いられている。しかし、レベル7の原発事故が3件起こったことは事実である。口を開けていたら誰かがエサを入れてくれるのを待っているほうが間違いであった。報道が悪い、行政が悪い、誰かが悪い、と言うだけではなく、自分たちが動きだすことを提案したい。
まずは知りたがりになること。原発事故の情報、都合の悪いことを国や企業が自ら進んで発表してくれるはずがない。そこで報道が市民の側に立つのではなく、権力側に立っているのは残念だけれど! しかし文句を言っている暇はないので、原発事故後の情報をどうやって得るか、私たちがなぜ賢くならねばならないか、福島第一原発の現況はどうなっているかなどを発表する。
2012年のOECD/NEA(経済協力開発機構/原子力機関)の会議を取材していた際、「住民は知識が無いのだから、放射線防護の詳しい説明はせず、専門家が安全かどうか言及するだけでよい」と各国の科学者が発言していたことは、本当に残念で悔しかった! 私たちは舐められているのです!
原発労働者と低線量の解釈
ポール・ジョバン
講演概要
福島原発事故以前には、原子力施設で働く労働者集団の疫学調査は、「低線量被ばく」をめぐる長い論争の一部に過ぎなかったが、その内容は魅惑的なものだった。2011年3月の事件は、現在の放射線防護基準をさらに変え得る新たな文脈を生み出した。だが、原子力推進機関は、この可能性を無にすべく、あらゆる手立てを講じている。
私が今回焦点を当てるのは、日本の労働運動と環境運動が、従来の疫学を借りて、現行の安全基準に対する批判をどのように構築しているかという点である。また日本の原子力推進派(「原子力村」)や、国際的な疫学者および放射能の専門家の「共同体」の内部から控えめながら挙がっている批判についても扱う。日本政府の専門家と活動家の間で行われている解釈(すなわち解釈学)をめぐる対立は、このように、疫学者や放射線の専門家の共同体内部でのより大きな、世界レベルの論争を反映するものである。
今回の研究は、私が2002年に初めて行った、日本の原発下請け労働者の研究の延長上にある。3.11以降、さらに日本とヨーロッパで、事故処理作業員や政府の専門家、活動家、疫学者に対する観察と聴き取り調査を行った。
原子力の語り ―東電福島第一原発事故後から声高に語られてきたことと議論の現状―
影浦峡
講演概要
言語そしてより高次の言語的構築物である法は、社会的実在として義務的な拘束力を有します。例えば、(岩井克人氏による例ですが)他人の家の庭に入り込んだとき、その家の人に「泥棒!」と叫ばれたなら、慌てて逃げ出すといったことは、言語のそのような力によるものと考えることができます。私たちの社会的環境は、このような社会的実在の拘束力を基盤に成り立っていますし、言語の現実とのそれなりに妥当な関係も、この義務的な拘束力のもとに成立します。ところで、言語や法が社会的実在であるということは、個人で勝手に変えることはできないということですが(例えば「机」をこれから「ンテロス」と呼ぶと決めてもうまく行きません)、同時に、社会全体が何かしらの方向に流れてしまうときには、拘束力を失う可能性を持っているということでもあります。
個別の発話は、言語におけるこの拘束力を基盤にして社会的な有意味性を持ちますが、それは法や社会的了解と整合性を持つとは限りません(例えば「脅迫罪」は、一方で、発話が拘束力を持つことからそれ自体が効力を持つ行為と見なされ、他方で、それが不適切な行為であることから成り立ちます)。また、言語におけるこの拘束力は、発話の内容においてだけでなく、発話するという行為においても発揮されることがあります。
この発表では、以上のことを前提として踏まえた上で、東京電力福島第一原発事故後に、メディアを通して、声高に伝えられた専門家や政府や関連するアクターの発言が、どのような効果を持ったかを、少し事故直後の状況まで振り返り、代表的な発言の例を見ることを通して、確認します。その際、
(a) 発話するという行為そのものが話者と聞き手の関係に及ぼす効果
(b) 問いそのものが議論の枠組みと配置に及ぼす効果
(c) 発話の内容が有する効果
について、検討していきます。また、そうした効果が、言語及び法の義務的な拘束力にどのような影響を与えたかについても、具体例を参照しながら少し考えてみます。
さらに、時間が許せば、それらの検討を背景に、現在進行中の、東京電力福島第一原発事故をめぐる「リスクコミュニケーション」等がどのような位置づけにあるのかも考えることにします。
もちろん、私たちは、今や、一国の首相による「(汚染水は)完全にブロックされている。」「コントロール下にある。」といった発言、あるいは専門家による「放射線の影響は、実は、ニコニコ笑ってる人には来ません。クヨクヨしてる人に来ます。これは明確な動物実験でわかっています。」といった発言を耳にしているわけですし、また、解釈改憲の権利を有しない行政府が「集団的自衛権」を閣議決定したことがあたかも実効性を持つ決定であるかのように報じられているわけで、したがって、言語が言語そのものにおいてと同時に現実との関係においても崩壊し、また法の拘束性も失われている現実を目にしているわけですから、ここで試みるような検討が、それにもかかわらず、言語や法の拘束力を有効であると見なし続けていることに、疑問を抱く方もいるかもしれません。
とはいえ、そのような状況においてもなお言語と法の拘束性を維持する意思を持つことこそが言語と法という社会的現実の融解に対抗することであることを踏まえるならば、ここでの見直しは、平凡でわかりきったことであるとしても、改めて行なっておく意味がなくはないものと思います。なお、この要旨は報知的なものでなく、指示的なものになってしまいましたが、ご容赦下さい。
原発事故被災者の権利
アナンド・グローバー
ビデオ・メッセージ
会場のみなさま、おはようございます。こんにちは。
このシンポジウムでスピーチする機会をいただけたことを感謝いたします。今日は参加できなくて申し訳ありません。しかしこの機会に再度、2011年3月の原子力災害により直接的および間接的に悪影響をこうむった人たちの権利を支持するためにお話をしたいと思います。
私は、ちょうど2年ほど前に、特別報告者としての任務のために日本を訪れました。その後、福島の原子力災害について得た知見を、日本についての正式な報告書として人権委員会に提出しました。
私の報告書には科学的見地が反映されていますが、報告書は、人間の電離放射線への被ばく量に関わらずに発がんリスクが存在するという科学的見解を非常に明白に述べています。すなわち、電離放射線には、これより下であれば安全だというような、低線量のしきい値は存在しないということです。放射線による初期および長期の健康影響を評価するにあたり、国際機関と日本政府はチェルノブイリの教訓を考慮してきていないというのが私の見解です。チェルノブイリで影響を受けた人たちはいまだに、健康影響、そして事故による社会的および経済的影響から回復していません。
電離放射線への曝露のレベルと影響を評価して報告するという権限の下に国連によって設置された委員会である、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)は、福島事故によって影響を受けた人たちの発がん率はこれまでと変わらないことが予期されると報告しました。
放射線の健康影響についての科学委員会の他の知見は、最も被ばく量が多かった子ども達の間での甲状腺がんリスクの理論的な増加だけしかないというもので、先天異常や遺伝的影響はなく、福島原発作業員での発がん率に識別可能な増加はみられないだろうということでした。
日本政府は、この科学委員会の知見を大いに支持しています。しかし、私が日本で出会った多くの人たちはこの見解に反対しており、反対者の中には科学者たちもいます。
それではここからは、このセッションの議題に内容を留めることにして、原子力事故により影響を受けた人たちの権利についてお話します。
健康への権利には、身体的および精神的健康への権利が含まれますが、それが医療への権利のみではないことが理解されねばなりません。これは孤立した権利ではなく、その何層にも折り重なった部分には、食べ物、住居、きれいな水、健康な環境などの健康の決定要因が含まれています。健康への権利というのはまた、情報、非差別、参加などの諸々の権利によって満たされます。さらに、国に手段があるかどうかに関わらず、高齢者、子どもや障害を持つ人たちのような脆弱なグループの権利が尊重され、守られ、そして満たされなければならないということに常時留意すべきです。国がこれらの根本的な決定要因や権利を確保することを怠った瞬間、影響を受けた人たちの健康への権利を侵害した可能性があります。
科学が関与しているにも関わらず、津波と原子力災害の後、健康に対する権利を含む人権の侵害が多数起こっています。さらにこの事故が、人々の生活と健康、そして諸権利の享受に対して初期影響と長期的な影響を及ぼしたことは明らかです。
人々が突然、計画もなしに移動させられ、政府の最高執行部が混乱し、当局が情報を提供することができなかったため、予防することができたはずの被害と、長期に渡る被害が、人々にもたらされてしまいました。その中には、事故から受けた影響がさらに酷くなったグループもありました。補助が必要な高齢者および障害を持つ人たちは、自力でなんとかしなければいけない状況に置かれました。子どもたちは甲状腺がんのリスクにさらされ、それは今でも続いています。原子力発電所の作業員は貧困者やホームレスの場合が多く、高線量の放射線被ばくを受けたのに、当時も今も引き続き、良質の医療を提供されていません。家族がばらばらになり、子どもたちの事を常に心配し、そのうち健康に影響が出るのではないかと恐れ、医療施設、物品やサービスも不十分な状況で、生活の糧も失ってしまったことが恐怖と不安にかられた状態を引き起こし、関係者すべての精神衛生に影響を与えています。
避けられたであろう状況に対応する日本政府の準備が深刻に欠如していたのだというのが、私の理解するところです。私の見解では、政府が準備していなかったことと、人々が政策決定に参加していないこととは、密接につながっています。発電所と緊急対策に関連したすべての計画と決定は、人々が有意義に参加することなく実行されました。日本では、政策への参加というものは、選挙で選ばれた議員を通しておこなわれるものであると理解されており、これは日本での大きな問題です。
しかし参加というのは、選ばれた人が人々の利益を代弁することだけに限定されているわけではありません。政府の政策により影響を受けるかもしれない、もしくは影響を受けている個人が、策定や決定を初めとし、履行、そしてモニタリングという、政策決定のすべての段階で参加するということです。たとえば、福島原発の例にあてはめると、そもそも原発立地に同意するかどうかに際して、国は、原発付近の住民に必要な情報すべてを提供されるようにすべきでした。人々が緊急対策の策定に関与していたとすれば、障害を持つ人たちが避難所に移動し、安全な場所に留まることができたでしょう。災害管理政策の実施に関与することは、人々が、ヨウ素剤摂取も含み、どのような手段を講じるべきかを知ることができ、すべての混乱と不必要な放射線被ばくを防ぐことができたでしょう。
情報へのアクセスは、また別の非常に重要な権利であり、健康への権利の側面でもあります。人々は、情報に基づいた選択をするために、すべての情報へのアクセスを持つべきです。事故直後の放射線量に関する情報を公表しなかったことにより、国は、人々が自分の命に関して選択をする権利を侵害しました。この情報があれば、人々は放射線被ばくから自己防護することができていたでしょう。
この災害の何ヶ月も後に、日本政府は放射線量が「安全」な場所への帰還計画を決定しました。この帰還政策は、住民に真の選択肢を与えていません。帰還したくない住民への補償は、帰還する住民への補償よりもずっと少ないのです。金銭的に余裕がない住民は、安全だと感じなくてもお金のためだけに帰還してしまうかもしれません。日本政府は、これらの地域が安全で放射線による悪影響はないだろうと述べています。しかし、放射線の問題には2つの対立した見解があるので、日本政府は、住民がどこに住んでいようと補償を提供することにより、真の選択肢を提示すべきでした。このような強制的な選択は、人々の尊厳に対して大きな侮辱です。
最後に、政府の行動は、国際放射線防護委員会(ICRP)のアドバイスを大きな基盤としています。ICRP の勧告は、最適化と正当化の原理に基づいており、それによると、政府のすべての行動は、損失よりも利益の最大化に基づくべきであるとされています。そのようなリスク・ベネフィット分析は、大多数には最善かもしれませんが、個人の権利よりも集団の利益を優先するため、健康の権利に関するフレームワークとは相容れません。健康への権利の下では、ひとりひとりの権利が護られなければいけません。したがって、たとえ1人の個人が悪影響を受けたとしても、その人の権利は尊重され、護られなければいけないということです。
ここに挙げた例は、人々の基本的人権を侵害し、尊厳をもって生きる権利を侵したごく一部の例です。
もしも政府の政策が包括的で参加型であり、透明性を持っていたとしたら、そしてもしも政府が東京電力の保障措置の欠如に見て見ぬふりをしていなければ、これらの甚だしい人権侵害は回避できていたことでしょう。
この時点で、この問題に関しての国内外での言説の大部分は、専門家や、あるいは私のように事故からかけ離れた場所にいる人たちによるものであることを強調しなければいけません。影響を受けた人たちこそが、この闘いに何度も応じ、国内外でのダイアログを先導すべきなのです。
ご清聴ありがとうございました。
子ども・被災者支援法成立の舞台裏
谷岡郁子
講演概要
原発事故の衝撃
- 「安全神話」の下、事故が起きた時には、その対応への準備はなく、事故対応は混乱を極めた。原子炉そのものへの対応から食品の規制等必要な法律は何も無かった。与党(当時)のプロジェクト・チームとして現場・内外からの情報収集、対応への協議、必要な法律づくりとあらゆることを全速力でやる必要性があった。
- 安全神話を守ってきた政府(経産・文科省)と東電、地元公共団体は「パニック回避」を大義名分に事故の影響を小さく見せることに躍起になっていた。
- 原発の安全性に懐疑的でありながらそれまで発言に消極的であったことへの後悔・反省が多くの与・野党議員を動かし、被災者の救済、必要な法律づくりへの模索が始まった。
「チェルノブイリ法」と立法の理念
- 私たちが安易に人権を軽視する国と信じていた旧ソ連の国々はチェルノブイリ法を成立させ、これを下にチェルノブイリ事故被害者への支援を行っていた。日本の対応が旧態依然としている状況でこれはショックだった。日本版チェルノブイリ法の必要性を痛感した。
- 斑目委員長が提案して学校の再開は10 mSv/年を上限値とすることがほぼ決まったと聞いていた。しかし、発表されたものは20 mSv/年であった。一夜にしてひっくり返った事実は、原子力の強い力によるものだったと考える。
- チェルノブイリ法の「知る権利」「自己決定権」(選択の自由)、国による被災者支援が基本理念となったそれは、現状の深刻さを知る権利を失った人々、勝手な線引きで決定権(自らの幸福の追求権)を失った人々に主権者としての地位を返還することでもあると考えた。
「理念」vs.「政治・行政の現実」
- 与党の法案づくりは当初から野党の法案の受け入れを視野に入れていた。各々の法律が枝としてはまるような木の構造としての法案構造を考えることが与党チームの主眼であった。
- 法案づくりには、市民ネットワークをはじめ、ベラルーシ大使館や被災者自身が加わって厚みのあるものとなった。国会法制局の担当者たちは情熱をもって無理なスケジュールをこなした。
- 野党との調整は難しかった。野党の中には本音と建前が違っていて、妨害的な言動もあった。しかし、他の野党が協力的であったことで1つの法案にまとまった。論点を明らかにするため、委員会質疑を行った。
- 政府(実際には官僚)との調整は困難をきわめた。ぎりぎりの落とし所として、数値は書き込まなかった。13条もたいへんだった。
(振り返って、そして、これから…)
- 現実には、現法以上のものをあの時点でつくるのは不可能だった。今の政権では、あの程度も無理だろう。いわば、たった一度のチャンスだった。
- 法律の主旨(法文)に従えば、政府は「放射性物質が甲状腺ガンやその他の疾病の原因ではない」ことを証明しなければならない。
- ストロンチウム、プルトニウム等、他の核種に対する関心が低いことは残念である。
- 被災者自身が共犯者になっているような現状は残念。「自己決定権」は、他者に圧力をかける権利ではない。
- 現実的・建設的な戦略とその実践が求められる。
放射性物質から防護されなかった福島県の子どもたち
宍戸俊則
講演概要
原発事故に関しては、非常に多くの、かつ重要なテーマが、事故発生後3年半経過しても、公的な場では、話題にさえできていない。
私は、2011年3月、原発事故発生時には福島市内の福島県立高校で教員をしていた。原発事故に関する現場の対応は、テレビや新聞で報道されていることと、全く違っている。被曝を減らすように呼びかけることや、生徒の被曝を減らす工夫を行うことが、実質的に禁じられていた。原発事故のことを話題にすることも制限されている。
原発事故発生後、子どもたちは放射性物質から防護されていない。被曝防護の姿勢さえも採る事を許されていない。子どもたちが、法律や官庁の規定に裏付けられた形で原発事故による健康被害から身を守ることが許されていない。
福島県は、浜通り、中通り、会津地方の3つの地域に分かれ、県全体を統一するイメージを県民の中にも作り上げることができなかった。
小中学校のほとんどは市町村立の公立学校だ。学校現場には、地域住民や保護者の声が反映しやすく、マスクや長袖長ズボンを着用しての登下校を呼びかけることができた。他方、高等学校のほとんどは福島県立学校で、保護者の声を聞くことなく、県庁の方針をそのまま反映させることになった。
原発事故発生直後、政府が避難指示範囲区域を3キロ、10キロ、20キロと拡大させていったが、それらの地域はごく一部を除いて、すべて浜通りに区分される地域だった。福島県庁幹部と自治体首長は事前の協定も通知も無く避難指示を出されたことに対して、大きな不満と反感を抱いた。中通りと会津地方の自治体は、避難者を受け入れる側と自己規定し、避難や防護措置を採る立場には立てなかった。
福島第一原発1号機爆発後、新聞やテレビの記者達は、本社の指示によって浜通りから全員避難した。しかしマスコミ社員の避難に関しては、今でも福島県内では報道されていない。地元新聞社もテレビ局もラジオ局も、県民に対して公式には自社員の避難を認めていない。ただし、目の前からマスコミ社員が消えていったことを知っているいわき市民や南相馬市民は理解している。
1号機爆発の翌日3月13日には、「絆」「復興」「頑張ろう」などのスローガンが既に福島県内のテレビ・ラジオ・新聞で繰り返されるようになった。
福島県は、14日には、中通りと会津地方の県立高校の合格発表を3月16日に実施することを決定し、15日の大規模な汚染拡大を無視し、20 μSv/hを超える汚染が福島市を襲っても、判断を変更しなかった。県立高校の合格発表は屋外で、何の警告もなしに行われ、受験者、保護者と家族、部活動勧誘に来た高校生、教職員は、放射性物質を含む雨と雪を浴びた。2011年3月16日の被曝に関しては、計測は行われなかった。
その前後に福島県にやってきた「専門家」は「年100 mSvまでの被曝では健康に影響しない。政府が何の警告も出していない原発から半径30キロの外では、事故に関係なく通常通りの生活をしても問題はない。今回の事故では、放射性ヨウ素により、もしかしたら小児甲状腺癌がごく少数増加するかもしれないが、他の健康影響は出ない。チェルノブイリ原発事故でも、収束作業員が30人前後死んだ他には、5年以上経過してから小児甲状腺癌が微増しただけ。小児甲状腺癌は、軽微な手術で対応でき、QOLも下がらない。放射線被曝で遺伝的影響が出ないことは、広島や長崎のような大量の被爆死者が出た事例で確認済みだ。これらは世界的な科学の常識で、それを超える健康影響が出ると語る人は不安を煽っている」と口々に語った。
3月末には、県立高校の屋外部活動が再開させられた。公的には山下俊一氏の「年100 mSv」以外には何の制限も警告も無かったので、指導者や教員が自発的に防護させるしかなかった。そのため、指導者や教員がなんの防護措置を採らずに高校生を被曝させる例も多かった。当時の文部科学副大臣が政府事故調の聴取で述べたような「ALARAの原則の教育現場への徹底」は、2011年7月に退職するまで、筆者は一度も高校の現場で指示伝達されたことはない。
4月になると、学校や通学路の安全性を確認せずに中通りと会津の小中高校の授業は再開された。小中学校では保護者の強い要望により、登下校と屋外活動に関して放射性物質への形式的な防護が実施された。高校では、体育授業がしばらく屋外で実施されなかっただけで、登下校のマスク着用も呼びかけられなかった。2011年に一校を除いて学校の屋外プール授業が実施されなかったのは、子どもの被曝回避が目的ではなく、下流住民からの汚染賠償請求を回避するためだった。
福島県では課外の体育活動に関しては、2011年から屋外練習と試合が行われていたが、福島県内マスコミは被曝防護に関する話題を報道せず、学校側も取材を拒否した。例外的に防護措置を採っていた一部の団体だけが取材を受け入れた結果、学校や競技団体が被曝防護を行っていたという誤解が広がり、福島県庁もその誤解を利用している。
広域避難者問題の概要把握と白書制作の取り組み
松田曜子
講演概要
何らかの理由で被災前の居住地を離れ、市町村や県の境界をまたいで避難をしている状態を「広域避難」と呼ぶ。県境を越えて避難している場合には県外避難と呼ばれることもある。日本では、阪神・淡路大震災(1995)の際にこの問題が取りざたされ、兵庫県が県外避難者への帰還支援策を講じた。東日本大震災では、広域避難者は全国に分散しており、47都道府県、約1,200の市区町村に所在しているといわれる。広域避難者も、みなし仮設の入居者と同様に被災地外に居住することで支援や情報のアクセスが難しくなるほか、被災地から遠く離れた地域での生活は様々な面で困難が生じる。
県外への避難を余儀なくされた人々は、生活の先行きの不透明性に加え、家族の分断、公共サービスや就労機会の逸失、帰還に関する世代間の軋轢など様々な苦悩に直面している。さらに、全国に離散した住民は説明会や住民ワークショップ等の機会によって意見を集約することも難しく、コミュニティ再生に向けた合意形成もままならない。広域避難者のこのような混乱状態を解消するためにも、さらには、将来起こりうる巨大災害において大都市が被害を受ければ今回以上に多種多様な避難パターンが生じうることを考えると、この問題の整理と対応策の検討は喫緊の課題である。
また、根本的な問題の特徴として、避難者の全数把握ができていないことが挙げられる。避難者数に関する公的な情報源は、総務省が掌握する「全国避難者情報システム」である。このシステムの登録は任意であるが、登録すると避難元の行政情報や支援の情報などが転送される仕組みになっている。同システム上で現在「避難者」として登録されている人の数は、全国で約29万人である。このうち、避難元と異なる「県外」に避難をしている人々は、福島から約5.2万人、宮城から約8,000人、岩手から1,600人の合わせて約6.5万人である。しかしながら、システムに登録している避難者は一部に過ぎず、正確な把握はできていないと言われている。特に自主避難者にとっては、同システムへの登録は住民票が避難元にあることを意味し、就労や差別などの生活上の不利益を被るため、避難ではなく、転居の形をとる人も多く、こうした人々の把握はより困難になっている。もちろん、東北から他県に転居した世帯のなかにはもともと避難ではなく移住したという認識でおり、「避難者」としての支援を特別に必要としない世帯(もしくは、東北からの転居者であることを知られたくない世帯)も存在する。しかし、問題は区分の曖昧さそのものよりも、こうした曖昧さのもとで、困窮し、支援へのアクセシビリティも限られた避難者の存在が埋没しているという点にある。全数把握ができていないことで公的、民間を問わず支援メニューの企画や政策立案を難しくさせている。
本講演では、東日本大震災における広域避難の問題について、現在の課題と特徴を整理するとともに、この問題を乗り越えるための、「原発避難白書」制作の取り組みを紹介する。
IPPNWによる、UNSCEAR福島報告書の批判的分析
アレックス・ローゼン
講演概要
今年、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の19ヶ国支部が、放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)の福島報告書の批判的分析を発表した。
UNSCEAR報告書は,福島原子力災害が、単一の事象ではなく進行中の惨事であること、福島県だけではなく日本中および世界の人々に影響を及ぼしていること、史上最大の単独海洋放射能汚染をもたらしていることを正しく記述している。この報告書内に示されている日本国民の生涯集団線量に基づくと、福島原発事故の放射能による甲状腺がんの過剰発生件数は、日本でおよそ1,000件、他のがんの過剰発生は4,300〜16,800件と予想される。
しかし、予測というものは、それが基づく仮定とデータに左右されることを明記すべきである。UNSCEARは、この報告書の中で、この惨事の程度を過小評価しようとしている。その結論は、以下の理由から、あらゆる面で過小評価と見るべきである:
- UNSCEARのソースターム推定値の妥当性は疑わしい
- 内部被ばく量の計算に大きな懸念がある
- 福島第一原発作業員の線量評価が信頼できない
- UNSCEAR報告書は、放射性降下物の人間以外の生物相への影響を無視している
- 胎児の放射線への特別な脆弱性が考慮されていない
- UNSCEARは、非がん疾患と遺伝的影響を無視している
- 放射性降下物とバックグラウンド放射線との比較は誤解を招く
- UNSCEARによる知見の解釈には疑問がある
- 政府によって取られた防護措置が誤って伝えられている
- 集団線量推計値からの結論が示されていない
何よりも原子力災害の被災者の健康を憂慮する医師団として、われわれは、事故の被災者がこれ以上被ばくしないための防護を必要としているとの認識を国連総会と日本政府がもつよう求めてきた。われわれは、以下の対策が必要と考える:
- 事故を起こした原子炉と使用済み燃料プールからの、今なお続いている放射能放出を最小限に抑え、将来のより大きな放出を防ぐという極めて大きな課題に対処するために、現在利用できるあらゆる専門知識を用いるべきである。
- UNSCEARによると、事故発生以来、のべ24,000人以上の作業員が事故現場で作業を行っている。向こう何十年もの間、さらに何万人もの作業員が必要となる。日本では、これらの作業員の十分な放射線防護やモニタリング、医療の提供に加え、原子力産業労働者全員の全国生涯放射線被ばく登録制度の整備が不可欠である。対象には、電力会社社員だけでなく、下請労働者も含める必要がある。作業員ひとりひとりが、自分のデータに容易にアクセスできるようにすべきである。
- 現実に機能する、一般市民を対象とした登録制度も重要である。現在、日本のほとんどの都道府県では、実効性のあるがん登録制度も、また網羅的な被ばく者登録制度(長期的な健康影響の評価に使えるような被ばく線量の推計を伴うもの)もないため、健康影響が起こったとしても検出されず終いになってしまう可能性がある。放射能汚染による将来的な健康影響を適切に評価するためには、こうした登録制度が必要である。
- 現在、被災者が、年間最大20 mSvの追加的被ばくを受けると予測される地域へ帰還することを推奨されているが、これは容認できない。われわれは、このような許容できない被ばくを最小限に抑えるために、現在行われている以上に避難・移住を増やす以外に方法はないと考える。将来の健康影響リスクを軽減するためには、現在放射能汚染を受けた市町村に居住していて、汚染が少ない地域への移住を希望する家族に対して、必要な物的・財政的支援を提供することが必要である。避難住民に汚染地域に帰還するよう圧力をかけたり、金で誘導してはならない。
- 放射線被ばくを十分かつ持続的に軽減するために必要な規模での除染が実行可能であるとの確証は未だ得られていない。また、放射能汚染には境界がなく、汚染は福島県にとどまらない。栃木県や宮城県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県も汚染されている。今のところ、政府の原発事故対策計画のほとんどは福島県に限定されている。県境ではなく、汚染レベルに応じた国の対応が求められている。
健康影響は考えられないという間違った主張や拙速な気休めは、まったく福島県民の助けになっていない。必要とされているのは、適切な情報や健康モニタリング、そして支援であり、何よりも健康で幸福な生活を営む権利を認められることなのである。原子力業界の利益や政治的利益ではなく、これこそが、原子力災害の健康影響を評価するさいの指針となるべきなのである。
先駆的な疫学的方法による健康影響の証明 : ドイツからの報告
セバスチャン・ プフルークバイル
講演概要
福島核災害後に、原発事故による健康への悪影響が予期されるかどうかについて、論争が巻き起こっている。この論争については、ドイツのハーゲン・シェアブらのグループ(ヘルムホルツ研究センター・ノイヘアベルク計算生物学研究所)の解析法が極めて重要である。シェアブは、一連の統計データから階段状のトレンド変化を解析する方法を開発し た。シェアブは、チェルノブイリ後の西ヨーロッパ、大気圏核実験後の米国とヨーロッパ、ドイツとスイス、フランスの原子力発電所周辺、ドイツ・ゴ アレーベンの中間貯蔵施設周辺において、この階段状のトレンド変化があったことを確認している。シェアブらの解析によって、公的に入手できるデータから、少量の追加的被曝のあった地域でも何らかの変化があることを示すことができる。この解析方法によって、放射線リスクの理解に新たな道が開ける。
福島県18歳以下の甲状腺がんに関する分析と今後の課題
津田敏秀
講演概要
福島県内では、2011年3月11日時点で18歳以下の全住民を対象に、甲状腺超音波エコーを用いた検診が3年計画で行われてきた。検診順序は、初年度(2012年3月31日まで:以下「2011年度」)が福島第一原発から最も近くかなりの割合が事故後に避難した市町村の住民を対象に、第2年度(2013年3月31日まで:以下「2012年度」)が福島市や郡山市など福島第一原発から中程度の距離の市町村(「中通り」の多くの市町村)の住民を対象に、第3年度(2014年3月31日まで:以下「2013年度」)が残りの市町村のいわき市(南東部)、相馬市(北東部)、会津若松市(西部)などの住民が対象であった。この検診の順序は空間線量率の高い順番に行われていると思われる。検診は2013年度末(2014年度3月末)で福島県内を一巡したことになる。検診計画4年目以降は、近い市町村と中通りが1年目で残りの市町村が2年目となり、2年周期で繰り返される予定である。今年は、近い市町村と中通りが実施されている。
この検診は、18歳以下の全住民を対象とした超音波エコーを用いた第1次検診と、同検診の超音波エコーで20.1mm以上の嚢胞影もしくは5.1mm以上の結節影が検出された者を対象とした第2次検診(表記以下の大きさでも、必要と認められれば対象となる)からなり、これら対象者の追跡、穿刺細胞診や外科手術等の事後処置が行われている。検診調査結果は、2013年2月13日に福島第一原発から近隣の2011年度対象地域から10例の穿刺細胞診陽性例(がん疑い例:がん細胞検出例、うち3例が手術済みで組織診断にてがん確定例とされた)が検出されたと発表されてから注目されだした。その後、検診調査結果はおよそ3ヶ月毎(年に4回)のペースで発表が行われ、検診の進行状況と共に結果を知ることができる。
本抄録データは2014年8月24日に発表された内容に基づき、すでに岩波書店月刊誌『科学』同年10月号と同年8月末にシアトルで開かれた国際環境疫学会総会で既に発表した。第4回市民科学者国際会議開催当日までには、11月中旬に福島県から新しいデータが発表される予定なので、分析が間に合えば、そのデータを当日は発表する予定である。
第1次検診の受診者数と検診対象者に占める割合は、2011年度が41,813人 (87.5%)、2012年度が139,209人(86.4%)、2013年度が115,004人 (73.0%)であった。2013年度の受診割合がかなり低いが、これは高校を卒業すると進学・就職で地元を離れる傾向のある日本において、2011年3月11日時点で16-18歳の年齢層だった対象者の受診傾向が著しく損なわれたからと考察できる。この傾向は2012年度対象地域においてすでに観察されていることが年齢階級別受診者数とその割合から分かる。これは、曝露開始後3年程度は曝露開始時10歳代の発症割合が多数を占めるチェルノブイリでの経験を考慮すると、2012年度と2013年度に把握できた甲状腺がんの数を過小評価した傾向を生じさせる。今後、対象者の成長につれ18歳を超えると検診受診割合が激減すると予想され、被ばく者手帳などの検診以外の症例把握方法の立案が早急に求められる。
福島県は、対象年度毎のがん確定症例数を発表しているが、市町村別のがん確定症例数を発表していないので、以下がん疑い症例(穿刺細胞診陽性例)を分析する。大部分の症例の手術が行われている福島県立医大では、鈴木眞一教授が穿刺細胞診の陽性反応的中割合を約90%と発表し、実際にこれまでのがん疑い症例58例中、手術後の組織診で悪性腫瘍と確定されたのが57例(陽性反応的中割合98.3%)なので、がん疑い症例をがん症例とする判断で大きな誤差(バイアス)は生じないと思われる
2011年度対象地域は1地区で、2012年度対象地域は、中通り北部地区(福島市など)、中通り中部地区(二本松市や本宮市など)、郡山市、中通り南部地区(白河市など)の4地区に分割し、2013年度対象地域は、いわき市といわき市を除いた福島県南東地区、および福島県西部地区(会津地方)と福島県北東地区(相馬地方:相馬市と新地町)に分割、福島県内を計9地区に分割した。内部比較は福島県西部地区を基準とした。
検出されたがん症例、有病割合(×10,000)、がん症例1人あたりの対象者数(有病割合の逆数)、外部比較による発生率比とその95%信頼区間、内部比較による有病オッズ比とその95%信頼区間を示すと、それぞれ、2011年度地域は14例、3.3、2,986.6人、22.32 (12.92-37.23)、1.21 (0.52-2.92)、2012年度中通り北部地区は12例、2.4、4,221.8人、15.79 (8.80-27.43)、0.86(0.36-2.11)、中通り中部地区は11例、6.1、1,651.6、40.36(21.12-72.71)、2.19(0.89-5.48)、郡山市は23例、4.3、2,346.2人、28.42(18.43-42.44)、1.54(0.73-3.51)、中通り南部地区は8例、4.9、2,057.1人、32.41(15.25-64.09)、1.76(0.68-4.56)、2013年度いわき市は19例、4.0、2,513.6人、26.52(16.47-41.63)、1.44(0.66-3.34)、福島県南東地区は7例、2.5、4,076.4人、16.35(7.67-33.50)、0.89(0.33-2.38)、福島県西部地区は9例、2.8、3,617.7、18.43(9.13-35.42)、1(基準)、福島県北東地区は、0例、0、∞、0(0.00-30.50)、0(推定せず)、であった。
チェルノブイリでは、ベラルーシ側、ウクライナ側の両方で事故後1年から症例数が徐々に増加し始め、同地域の非曝露集団の検診では甲状腺がん症例が70,445人中1例発見され、CDC(米国疾病管理予防センター)は甲状腺がんの最短潜伏期間を大人で2.5年、子どもで1年としていることなどから、この甲状腺がんの多発は原発事故によるという仮説は支持される。WHOも外部被ばくも関与した福島県内でのがんの増加を予測していることから、引き続き、妊婦、乳児、幼児、小児、青年、妊娠可能性のある女性の順で、避難計画と実施の検討、20 mSv以下の地域での帰還計画の実施延期、事故当時19歳以上だった福島県内住民、および福島県に隣接する空間線量が高い県の住民(全年齢層)への症例把握、甲状腺以外のがん、がん以外の疾患への調査と対策の立案を呼びかけるものである。
100 mSv未満の線量における放射線リスク
キース・ベーヴァーストック
講演概要
UNSCEARの線量評価は、日本でフォールアウト(放射性降下物)の影響を受けた地域のほとんどの住民の実効線量を、最初の1年で10 mSv未満とし、今後80年にわたって20 mSvを超えないとしている。しかし、外部被ばくの実効線量が年間20 mSvに下がった避難区域への帰還が実施されれば、実効線量はUNSCEARの推計値よりもはるかに高くなってしまう。UNSCEARは、公式見解で100 mSv未満の被ばくにリスクがないとしているわけではなく、100 mSvという線量レベルは、それより少ない線量ではリスク推定が不確かであるため、リスクは無視しても良いという線量レベルとされてきたものである。疫学的リスク推定が、100〜200 mSvの線量域と比較して、0〜100 mSvの線量域で技術的により不確かであるとしても、100 mSv未満の方が100 mSv以上よりも100 mSvあたりのリスクが、低いと結論づけるのは詭弁でしかない(訳註:100 mSvに特別な意味があるわけではなく、100 mSvあたりのリスクは、100 mSvより上でも下でも同じ、ということ)。
ここでは、100 mSv未満への被ばくのリスクについての疫学的証拠、および100 mSv未満でのリスクに関する理論的議論を考察し、100 mSv未満の被ばくが「安全」であるというのは科学的ではなくむしろ政治的な決断であり、科学的に正当な意味がないことを示す。